日本語|English

自然との共生を目指し 謎多きウイルスに挑む

昨年、70年ぶりに国内感染が確認されたデング熱。先進国では感染の危険が小さいため軽視されてきた「顧みられない熱帯病」の一つだ。ワクチンも治療薬も実用化されていない中、世界の患者は年間1億人といわれ、重症化すると死に至る。森田公一は「人類がこの星で生きていく限り感染症はなくならない病」と受け止めながら、一つでも多くの人命を救うため、国内外の同志と手を携えて制圧に挑み続けている。

昨夏の国内感染、思いがけないほど大規模だった

世界的に見て流行地域の拡大を続けているデング熱が、日本で注目を集めたのは昨年8月。東京・代々木公園に端を発して確認された感染者は162人にのぼった。「ここ数年、海外旅行帰りの感染者は年間200人を超え、2年前にはドイツ人女性が日本で感染した疑いも出ていた。いずれ国内感染が出ると危惧していたが、思いがけないほど大きな規模だった」と森田。デング熱の認知度は一気に高まり、医師会や市民向けに講演する機会が増えた。ウイルスを媒介するヤブ蚊が活発化する夏場を再び迎え「特に大勢の人が集まる場所では、自分が感染しないためにも他人に感染させないためにも、蚊に刺されないよう注意が必要」。肌を露出しないなど基本的な対策を徹底するよう呼びかける。

若き日にタイで見た、野戦病院のような光景

長崎大学医学部は、幕末期の1857年に設立され近代西洋医学の発信地となった「医学伝習所」から続く歴史を持つ。森田が所長を務める熱帯医学研究所(熱研)は、国内で唯一「熱帯病」に特化した研究施設だ。1942年に前身となる風土病研究所が誕生して以来73年間、フィラリア症や住血吸虫症の国内根絶や熱帯地域での感染症対策に貢献してきた。また国際医療支援活動も盛んで、アフリカで奮闘する医師を描き映画化もされた「風に立つライオン」が生まれた舞台でもある。

研究者を志した森田が大学院で「たまたま」入ったのが、五十嵐章(現・名誉教授)の教室だった。五十嵐は世界に先駆け実験室で蚊の細胞によりデングウイルスを培養することに成功したデング熱研究の第一人者。森田は助手として研究を続ける中で、生涯忘れられない光景を目にする。「ちょうどタイ全土でデングが流行していた時期。田舎町の病院に行くと、30台ほど並んだベッドすべてでデング出血熱の子供たちが苦しんでいた。1台に2人も3人も寝かされ、その間を看護師さんが慌ただしく走り回り……まるで野戦病院のよう。日本にはない異様な状況が、日常の中にあることにショックを受けた」。この経験が、今も研究を続ける原動力になっていると森田は語る。

なぜ重症化するのか、仮説はあるものの今なお未解明

ケニア中央医学研究所ブシア支所での画像

ケニア中央医学研究所ブシア支所(ケニア・ウガンダ国境)で現地スタッフともにデングウイルスの分離にあたる

現在は長崎とケニア、ベトナムの研究拠点を行き来しながら、総勢20人ほどのチームの陣頭指揮を執っている。熱研では国内外の民間企業や研究機関との共同プロジェクトも多数進行中だ。研究対象は、蚊が媒介するウイルス一般。チクングニア熱、西ナイル熱、黄熱など、種類は100を超える。「その中で最もヒトに被害を及ぼす」のがデングなのだという。初感染では寝ていれば治る程度の軽症が多いが、再感染すると重症化し死に至るケースもある。病原性因子は何か、なぜ重症化するのか――仮説はあるものの、全容解明には至っていない。「ウイルスにはいろんな違いがある。ヒトの細胞に感染しやすいウイルス、蚊の細胞内で増えやすいウイルスなど。その違いが重症化に関与しているのではないかというところまできているが、ではどの部分がどう関与しているか分かっていない」。解明が難しい背景には、動物で実験できない現状があるという。「デングはヒトにしか感染しない。サルやネズミを使ってみたがうまくいかなかった」。そのため他の研究者と共同で実験動物を作る取り組みを始めた。

実験室での科学的な壁、現地での社会的な壁……

研究は感染の危険と隣り合わせ。ほかにも無数の壁が立ちはだかる。「診断薬を作るためのバクテリア発現系がうまく機能してくれない、フィールドでは現地の治安が悪くなると待つしかない、ケニアのソマリア国境付近はゲリラが出るため渡航禁止となったり。わずかな採血でさえ国や宗教が違えば拒否される」。どのようにして乗り越えてきたのか問うと、「現地の人たちと話し合ってこつこつ解決するしかない。乗り越えるための特効薬なんてない。そんなものがあったら教えてほしいぐらい」と人懐こい笑顔を見せる。

リーダーとして心がけていることは「若い人のじゃまをしない」。斬新なアイデアを持ちよく勉強もしている若者たちの話を一生懸命聞き、ポジティブな面を引き出す。いわゆる「やってみなはれ」の精神でやる気をそがないよう配慮しているという。そんな中、2013年には日本脳炎の研究で日本熱帯医会賞を受けるなど「科学の謎を解き明かす喜び」という醍醐味(だいごみ)を分かち合っている。「自力でポストを見つけて海外で活躍する人材も出ている。自立した研究者に育ってくれるのはうれしい」と目を細める。

ジャングルに生きる微生物と人類の共存への道

研究の最終目標は「自然との共生」と語る。「熱帯病の多くはジャングルの中にひそんでいる。未知の微生物は人間が自然豊かな熱帯雨林に入っていけば接触する、ETみたいなもの。なにも人間をやっつけようと生存しているのではなく、あるものは納豆菌みたいに人間の役に立つが、あるものはエボラウイルスみたいに病気を引き起こす。病原性を解明したり治療薬を開発したりすれば、病気はある程度押さえ込める。しかし自然界にホスト(ウイルス保有動物)がいる限り完全にはなくならない」

現在、ケニアの拠点では、黄熱病とリフトバレー熱の迅速診断法の作成と早期警戒システムの構築に取り組んでいる。感染症を早期に察知できるキットを開発するほか、携帯電話を使って瞬時に現場と中央で情報共有できるシステムを作る。「やっつけてしまうのではなく、まずは封じ込めて感染を広げないこと。それがとりもなおさず『共生』につながる。成功すれば、他の病気にも応用できる」

研究者として忘れてはいけない教えを伝え継ぐ

6月のG7サミット首脳宣言で「顧みられない熱帯病」研究促進も盛り込まれたことから、目標到達への動きが加速することを期待する。一方で、数年ごとに次々生まれる新しい感染症の調査研究も迫られている。WHOの専門家として東南アジア各地に出向いていた2003年にはSARSが流行。ここ数年でもSFTS、MERS、新型インフルエンザなど新たな病原体が確認されている。「人類が自然を残してこの星で生きていこうとする限り永遠に続く問題であって、いつか終わるものではない」。これからも続く長い道のりを覚悟する。

熱研で語り継がれている言葉がある。「The bench is in the bush」。ベンチは実験室、ブッシュは現地を意味するのだという。「実験室にばかり閉じこもっていないで、病気が流行している地域に出向くことが大事という教え。現地に立ってこそ見えてくることがある。ここ熱研の研究者として決して忘れてはいけんことです」(取材日:2015年6月25日)

デング熱など熱帯病研究

森田 公一(もりた こういち)

1956年、愛媛県生まれ。長崎大学大学院医学研究科博士課程修了。専門はウイルス学。米ニュージャージー州立医科歯科大学助手、世界保健機関(WHO)西太平洋地域事務局感染症対策課課長、長崎大学熱帯医学研究所教授などを経て2013年から現職。アジア、アフリカを中心に拡大の一途をたどるデング熱など熱帯病の制圧に尽力する。

「デング熱」の概要をみる-Yahoo!ヘルスケア

森田公一の画像

ページの先頭へ